うつうつ暮らし

「うつ状態」と診断されて休職中。うつうつしながら暮らし、感じたことを書き留めています。

最近思うこと

久しぶりの投稿です。

ここ数ヶ月の間、状態は全く変わらず、相変わらず病気と闘うような生活が続いています。

いつまで続くのか、もう一生このままなのかと考えてしまう。

必ず朝日は登るけれど、日は沈んでまた夜が来る。

暖かい春は来るけれど、季節は巡ってまた冬は来る。

朝の方が少しだけ気分はよいけれど、夜は長い。

本当に苦しい。

涙がぼろぼろこぼれて枕を湿らせる。

明日死なせてくださいと手を組みお祈りする。

どうかこの辛い日々を終わらせてください。1日も早く。

そうして一心に願っていると気分は少し軽くなり、やがて眠気に飲み込まれるようにすとんと眠りにつくことができる。

この辛い日々が終わることだけを信じて、今日もうつうつは生きています。

 

 

「うつ」の誕生と、克服のヒントについて思ったこと。

うつ病になりやすい人の傾向として一般的に、

・真面目

・責任感が強い

・義務感が強い

・自己責任感(他人のせいにしない)

・感情表現がうまくできない

などが挙げられている。

 

簡単に言えば、愚痴など言わずいつも一生懸命な頑張り屋さんだろうか。

 

ここで、今の社会を考えてみる。

 

人それぞれ様々な価値観で生きているし、色々なタイプの人がいる。

 

真面目に生きて幸せになる人、

真面目に生きていても幸せではない人、

なんとなく生きていて、幸せな人。

 

もしこれを読んでくださっているあなたが真面目に一生懸命生きてきたならば、一度くらい「真面目にやってるのに馬鹿をみた」という経験があるのではないだろうか。

 

そのときの悔しさ、怒り、やるせない気持ち。

「自分は一生懸命やっているのに結果が出ない」

「あんなに頑張ったのにうまくいかなかった」

「自分は真面目にやっているのに、一部の人がいい加減で迷惑している」

など。

 

そういうものが積み重なって「うつ」が生まれたのではないだろうか。

 

もし、真面目に生きている人がみんな幸せになれるような社会だったら、「うつ」は逆に、"真面目じゃない人"がかかりやすい病気になっていたのかもしれない。

 

真面目に生きる人が報われる社会であるのが一番いいが、現実には難しい。

 

ひょうひょうと生きて美味しい思いをする人のなんて多いこと。

 

痛ましく悲しい事件や危険運転の事故もそう。

 

なにも悪いことをせず、普通に真面目に生きてきたのに世の中はなんて残酷。

 

話が飛躍したが、何かを変えるより自分を変えた方が早い。

 

真面目に生きていること自体に、堂々と胸を張っていられたら。

 

自分が一生懸命努力していることこそが幸せなのだと思えたら。

 

「うつ」が自分から出て行ってくれる日も近いだろうと思う。

 

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ブログを書く理由

私には、こうして文章にして自分の思いを綴れる場所があるだけ恵まれていると思う。

 

いつか誰かの目にとまるかもしれない。

それは何十年後の自分かもしれない。

そんな「希望」が書き残す意欲を与えてくれている。

 

人の数だけ「うつ」はあるはず。

「うつ」の数だけ解決策はあるはず。

同じ薬、同じ方法、同じ期間が過ぎたからうつが完治するわけではない。

 

共通しているのは、辛さと苦しみを感じながら生きているということ。

 

「死」を考えない日はない。

絶望しない日はない。

孤独を感じない日はない。

それでもまだ生きている。

 

「頑張る」という単語を目にするだけで死にたくなる。

 

「頑張る」が大好きで、「頑張って」る自分が大好きで、「頑張って」生きてきた。

 

こんな形で「頑張る」に裏切られるとは、悔しい。腹立たしい。それ以上に虚無感が大きく何も感じない。

 

ドラマをみて共感できる感情が減ったことに気付いたのは少し前の話。

 

私は少数派の人間だとも思う。

 

例えこの文章を読む人が一人もいなくても、残せることに大きな意味があるのだと思える時だけここへ来る。

 

孤独な病。

私はとても孤独な病にかかっていると思う。

 

自分の辛さや苦しさを、わかる人は誰もいない。

辛さや苦しみから救ってくれる人は誰もいない。

 

苦しみの果てには自分しかいないけれど、むしろ、自分しかいないから苦しいのだろうか。

 

苦しい自分に、自分が一番苦しんでいる。

それがうつの本質だろうか。

 

医者も薬も救えない。

誰にも期待しない。

いつも「誰か」を頼りにしてきたから、他人にも自分にも絶望している。

 

私には誰もいないのだ。

そう思えたら、内側から襲ってくる「うつ」に対して堂々としていられるようになった。

 

 

置き去りにした心理的課題

眠れない。

相性抜群だと思っていた睡眠導入剤マイスリー、一錠で効いていたのだが、それも、とうとう4錠飲んでも眠れなくなってしまった。

 

眠気は強い。

すごく眠たい、まぶたも重たい。

目なんか開けていたくない。

体もだるく、蛍光灯の光を浴びるほどに症状が悪化していくように思える。

真っ暗な部屋で静かに眠りたい。

しかし、暗闇で、睡眠欲が高まっていくほど、頭の中には次々に色んなアイデアが浮かび、この朦朧とした意識さえも決して手放してくれないのである。

 

それは、過去の悲しい出来事や後悔の念、当時の先生や同期との学び、関わってきた人の顔に何気ない会話など、とりとめもなく、いつまでも浮かび、脳内を漂っている。

それは私に何かを訴えようとしているかのようで、邪険にできないのである。

この強者の睡魔も打ち勝てない。

 

ある日、私はやっと悟った。

私は、私自身の内部に問題を抱えているのではないだろうか。そしてそれを解決すべき時期が来たのではないか。

つまり社会の一コマとして働き、社会的キャリアを積んでいく前に、解決しておくべき心理的課題があったのだ。

どうやらそれを置き忘れて社会人になってしまったようである。

だから今こうして仕事に行けず、途方に暮れて生きていたが、私のするべきことは仕事に行くことではないとはっきりした。

置き去りにしてきてしまった私の課題を、まずは解決するベきなのだ。

 

睡眠欲に従って自然に眠りにつけるようになる日がくるように。

私は明日から始めようと思う。

 

お風呂嫌い

最近、お風呂に入るのが苦手です。

入りたくないなーってうだうだTVを見て、軽食をつまんで。

でも、入らないとなんだか落ち着かなくて眠れない。

ぎりぎりまで引っ張って、真夜中には浴槽に水を溜めて、覚悟を決めて湯船に浸かります。

読みかけの文庫本を持ち込み、氷の入ったジンジャーエールを持ち込み、入浴剤、香水風呂、スマホで動画視聴など色々試したけど、やっぱり最近お風呂が嫌いです。

 

 

うつ状態の私の生活

うつ状態になって、目が覚めてる間は体もだるく、四六時中辛いことが次々頭に浮かんでくるのですが、ずっとしんどいわけではなく、比較的調子がよくなる時間帯があります。

 

私の場合は、夕方が一番調子がよいです。

目覚めた瞬間が最低最悪で、15時くらいから徐々に動けるようになり、17時になると外出もできます。

17時を過ぎると眠気がやってくるのですが、15時からの調子のよい波に乗ってると意外と平気で耐えられます。

 

【生活パターン】

12時 起床 一応日光を浴びる

13時 お腹が空き始め朝食準備

14時 ぼーっとする

15時 眠気もとれて体が楽になる

16時 ドラマ「相棒」を観ると少し元気になる

17時 食料の買い出しや散歩

18時 晩ごはんの準備

19時 食事

20時〜 日記を書いたり、テレビを見たり

22時〜 お風呂

24時 精神的にパニック状態←

  将来のことに不安になったり、孤独を感じてよく泣いてます

睡眠の薬を飲むが、すぐには寝れない

26〜27時 就寝

 

夜中の2時3時まで起きてると、不安感もかなり強くなって負担が大きいです。早く寝たいんですが、なんかうまくいきません。

朝10時には起きたいけれど、午前中ってものすごくしんどいです。

体がカチコチに固まって眠くてだるくて頭痛がして疲労感も半端ない。

 

「相棒」は元々好きでずっと見てたので、いい気分転換になってるかなって思ってます。

散歩も、歩いているときには余計なことを考えずに済むのでいい方法です。

一歩踏み出すときに頭の中で「右足、左足、右足、、、」ということだけを考える。

自分が「今している行動」に集中すると、少しの間だけでもうつ状態の思考から抜け出せます。

 

他には、お風呂入るのが辛いんです。

できれば入りたくないけど、夏だから入らない方が不快で、でも本当に嫌です。

黄色いアヒルでも持っては入れば楽しくなるのか、、

入浴は最大級の敵です。

意外とエネルギーを消耗するらしいですが、だからでしょうか。

 

あと、無性に甘いものが欲しくなります。欲求に素直に従ってしまうと糖尿病を併発しそうな勢い。

 

17時から2時間くらいなら今の状態でも働けるかなって感じです。

 

正社員だと、9時-17時の勤務ですが、もっとたくさん選択肢があればいいのにって思います。

 

仕事をして、自立した生活をあきらめたくないっていう気持ちを持ってる方はたくさんいると思います。

 

色んな人が色んな形で社会参加できる日が来ますように。